├─≠ョ─ヵラス 日焼けサロン├─≠ョ─ヵラス 松崎 しげる(まつざき しげる、本名:松崎 茂幸(まつざき しげゆき)、1949年11月19日 - )は、東京都江戸川区出身の歌手・俳優・タレントである。通称はマツ。外国人風にシゲル・マツザキと呼ばれることも多い。所属事務所はウォーカーブラザース。身長170cm。血液型はA型。
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1 人物・来歴
2 エピソード
2.1 色黒
2.2 左利き
2.3 道路交通上の法的トラブル
2.4 その他
3 代表曲
4 ディスコグラフィ
5 出演
5.1 テレビドラマ
5.2 テレビ番組
5.3 ラジオ番組
5.4 映画
5.5 ビデオ作品
5.6 アニメ
5.7 CM
6 関連項目
7 外部リンク
人物・来歴 [編集]
江戸川区立松江第三中学校から日本大学第一高等学校を経て日本大学藝術学部文芸学科卒業。高校球児だったものの肘を故障して野球を断念、それ以降音楽活動を始める。大学時代にはのちにガロを結成する日高富明、堀内護と共にミルクというバンドを結成する。当時、大橋プロダクションのマネージャーをしていた宇崎竜童にスカウトされプロデビュー。
バンド解散後、ビクターのオーディションに合格し、1970年にシングル『8760回のアイ・ラブ・ユー』でソロ歌手としてデビュー。しかし、ヒット曲に恵まれずにコマーシャルソングの歌い手として活躍する。
1976年、スペインのマジョルカで開催されたマジョルカ音楽祭に『愛の微笑』で出場し、見事最優秀歌唱賞と第2位に輝く。その1年後の1977年、改題されCMソングとして発表された『愛のメモリー』が大ヒット。同曲は数々の賞に輝き、第28回NHK紅白歌合戦にも初出場した。また、『噂の刑事トミーとマツ』(TBSテレビ)などのドラマ出演でも好評を博し、『クイズダービー』(TBSテレビ)では「クイズの帝王」を自称し、ゲスト解答者として度々出演するなどお茶の間での人気を獲得した。
現在では、年間200本近くのディナーショーを開催して「ディナーショーキング」の異名を取ったり、『タモリ倶楽部』(テレビ朝日)などで見せる夜の帝王ぶりなどのタフな一面が話題となっている。
2度の離婚を経て、1997年に大手百貨店の令嬢である23歳年下の夫人と再々婚。1998年に長男、2000年に長女、2007年1月には57歳で二女が誕生した。長男誕生の際に「女房の笑顔さえあればバイアグラなんていらない」、二女誕生の際には「(二女が成人する)77歳まで歌い続けなくては。少子化対策に団塊の世代が一石投じられれば」とのコメントを発表、こうした流れを受ける形で「シゲルBROWN(しげるぶらうん)」名義で新曲を発表した。ちなみに2度目に離婚した元妻は、その後B'zの稲葉浩志と再婚している。60歳(還暦)の年で小学生や未就児なのでというよりはむしろ祖父と孫に見られることも多い。
後述する交通事故により芸能活動を自粛していたが、2007年3月10日『ケータイ刑事 THE MOVIE2 石川五右衛門一族の陰謀〜決闘!ゴルゴダの森』の初日舞台挨拶に出演し、自粛解除を宣言した。
2010年春には、女性ユニット「Girl's Next」のプロデュースをしている。
埼玉西武ライオンズ球団歌『地平を駈ける獅子を見た』を歌っていることでも有名で、石毛宏典や佐々木誠らのサイン入りグラブを所持するなど、野球選手とも交友関係が深い。CMでの声の出演(企業名、商品名を叫ぶ役)も多く、放送中の一社として横尾材木店(本社・埼玉県本庄市)を挙げることができる。同社CMは本社のあるNACK5を中心に隣接県のJFN局でも放送されている。
エピソード [編集]
色黒 [編集]
元々肌の色が濃い松崎であったが、ハワイなどの南国で休暇を取ることも多いことからその黒さに磨きがかかり、ついにはトレードマークとなった。その黒さをキープするため、日焼けサロンに通っており、さらに近年(2008年現在)では事務所に日焼けマシーンを設置するほどである。そして、ついには自宅にも日焼けマシーンを導入した。自己紹介でも「歩くメラニン色素」を自称しており、東海地方地盤の焼肉チェーン焼肉屋さかいのCMでは「松崎こげる」のテロップまで出た。
2005年5月18日放送の『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』(フジテレビ)内のコーナー「トリビアの種」で、松崎の肌の色を絵具で作る場合、どの色の絵具をどの割合で混ぜれば良いか検証された。その結果朱色45%、黄色25%、白16%、緑14%という配分(HTML・CSSのRGB表記でいえば#A55A4Aあたり)が決定され、実験に使われた絵具の製造元であるサクラクレパスが「まつざきしげるいろ」を同番組のために10セット製作した。
サクラクレパス社のサイトで「まつざきしげるいろ」の作り方を紹介している。また、フジテレビ局内の土産物屋で「まつざきしげるいろ」が入った絵具が販売されている。
左利き [編集]
ギタリストとしても活躍しているが、左利き用のほかに普通のギターを弦を張り替えることなく、そのまま逆にして弾きこなすことができる(アルバート・キングや甲斐よしひろと同じ弾き方である)。
これは唐突にその場にあるギター(多くの場合は右利き用のギター)を弾くことになった場合、左利き用のギターしか弾けないと意味がないため。
道路交通上の法的トラブル [編集]
2006年11月、交通事故の第一当事者となった際、長期にわたって無免許状態で車を運転していた事が発覚した。
松崎は1989年に当時滞在していたアメリカで運転免許を取得したが、日本で運転免許を取得した経験は無かった。日頃はアメリカで発行された国際運転免許証を所持して運転を行っており、法的な問題は無いと考えていた。しかし、2002年の道路交通法改正により、国際免許を根拠にした運転が認められるのは「3ヶ月以上連続して日本国外に滞在してから帰国した後の1年間」に限られるように定められた。松崎が2005年8月から事故当日までの間、3ヶ月以上連続して日本を離れた事実は無かったため、法的には運転が許可される状況に無かった。
松崎は前年や前々年に「警察官に運転免許証の提示を求められ見せた際に何ら問題を指摘されなかった」と主張しており、無免許運転に過失犯処罰既定は無いことから、「法の不知」の問題も絡んでその法的処遇が注目された。結局、松崎が刑事訴追される事はなかったが、無免許運転に対する行政処分(新規免許取得の拒否処分)が無かったのかどうかは明らかになっていない。
その他 [編集]
1978年のセンバツで、『愛のメモリー』が入場行進曲に採用された。自らも高校球児だった本人は「(甲子園のグラウンドに立つという)ガキの頃からの夢がかなった」と感無量だったという。
『地平を駈ける獅子を見た』を歌ったことが縁で、長年にわたる埼玉西武ライオンズのファンである。週刊ベースボール誌のインタビューでは「西武ドームのネット裏でウイスキーを飲みながらライオンズの試合を観戦するのが大好きだ」と語っていた。
オリックス・ブレーブスでプレーしていた熊野輝光(現・スカウト)に乗用車を30万円で譲渡したことがある。野球中継のゲストで松崎が出ていた際、熊野がヒットを放った瞬間、「中古車30万円のバッティング!」と唸った。
2005年8月、音楽配信サイト『iTunes Music Store』日本版開始時に、代表曲『愛のメモリー』が最高3位にランクインする現象が起きた(この時の第1位はDef Techの『My Way』、第2位はクレイジーケンバンドの『タイガー&ドラゴン』)。初期にランクインしていたのは、バグによるものだという説がある(小曽根真の『ドラえもんのうた』もランクインしていた)。また、一部ネット上での意図的な購買も要因と見られる。
2006年3月12日付のオリコンシングルチャートで「練馬大根ブラザーズ」名義の『マ・ジ・ヤ・バ』が初登場44位を記録、1978年1月の『偽りのバラード』以来、実に30年以上もの間隔を空けてのオリコンTOP50入りを果たした。ただし、ゲストボーカルという扱いでは2000年にピチカート・ファイヴの『東京の合唱〜午後のカフェで featuring 松崎しげる with YOU THE ROCK』で最高40位を記録している。
ビートルズ武道館公演を体験している熱狂的ビートルズマニアである。2006年、スカイパーフェクTV!の音楽専門番組でビートルズ武道館公演の前座を務めた尾藤イサオと出演時、尾藤が口にするビートルズナンバーを即興で歌いながらその曲にまつわるエピソードなどを披露。また、前座に出演した尾藤と同席できる喜びと、尾藤の前座の感想を興奮気味に語っていた。
パチンコ台は松崎との純粋なタイアップ機はないが、京楽産業.の「CRぱちんこ黒ひげ危機一髪」と大一商会の「CRJ-POPヒットパレード」に登場している。また、『CR愛と誠』でも大当たり中の曲が愛のメモリーとして鑑賞できる。
パソコン関連では、本人 = 色黒のイメージが広がりすぎたのか、黒いものの愛称として「しげる」と呼んでいる人々も。TRue Black 120はThermalright社のCPUヒートシンクだが、ガンメタルブラックに鍍金して発表したところ、一部「松崎しげる」と呼ぶ人が出現して定着した。逆に、同形で銀色のモデルUltra-120 eXtremeは黒くないことから「しげらない」と呼ばれることもある。ちなみに同社TRue Black 120は空冷では現在最も高性能な製品のひとつとの位置づけ。
ゲーム「塊魂」では「ビューティフル塊魂」以外のシリーズ全てで挿入歌を歌っている。その歌詞には「日に焼けた肌」というフレーズが必ず入るのがお約束となっている。
日本で初めて、生理用品のCMに出演した男性でもある(松崎しげる以外の男性では桑田佳祐、笑福亭鶴瓶や安全地帯など僅か)。
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